手紙、伝達手段における心理戦で、新しい戦いをする人。
蜀において、剣閣で、連弩(バリスタ)を用いた戦いをする。
「丞相、国の統治の論拠は必要ですが、そのような事が、本当に大事なのですか?」
「私なら、伝達がうまくいかないのであれば、すぐに伝達手段を悪意と受け取り、糾弾します。」
「自分のためという話を聞けばそれに納得します。そこには表裏しかないと裁判所に書面を置きます。」
「また、対外交渉であれば、味方になってくれそうな所へ手紙を書きまが、その前に、敵になりそうなところを把握し、まずは敵方へ手紙を送るという考えもありとします。」
「それは、バランスが統治になっているからです。」
「伝達手段そのものがうまくいかなければ、敵は近くにいて、最初に説明した手段を用いるしかなくなります。」
「近くに、恨みを残しては、統治が先行かなくなる。」
「それに、良い統制をしこうとした玄徳公の方がお主より上じゃ。」
※
以前も述べたと思いますが、漢中王と劉備玄徳が、蜀の皇帝になって失敗をしたという話を作ったにしろ、正史や史実の根拠が出てきても、この物語は秀作です。
諸葛孔明が天下3分の計を述べて、そのバランスで、行政に値する国の主張の拮抗を保つというストーリーと、漢中が儒教を大切にする国でそこで王になった劉備玄徳を序盤のヒーローにした点です。
それが韓国において、儒教の振興者がいなくなった場合、南北統一を掲げる朝鮮総連が最大派閥になってしまいます。
その状況が変われば別ですが、今においても、時代にあった秀作で、ブリキのおもちゃを美術展に平気で並べる国のように、絵巻でも語られるべきです。
状況があわなくなれば、当時は、この話が最適だったと説明するべきです。
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