理系の人間が訴訟を知らずに育てられるという話に苛立ちます。
それを世間が知っていたのに、同情傾向じゃなかったのに、危ないと思います。
研究ノートは記録です。
それを裁判所へ第3者手続きという考え方。
その答えは、調査請求です。
記録を10年分頂きます、もしくはあると仮定できます。
時効の考えを適用できます。
電子データは保持する限り、消えません。
それは、悪事の仮定においてです。
研究であれば、調査対象です。
相手が、性格の悪い組織であれば、猶更です。
処分、ねつ造、ノートすら、誰か分からないという世界です。
つまり、綿密な計画で誰かがはまるようになっております。
社会性のスキルの相手方から見れば、訴えがこいつらAです。
原告は、相手方ではなく、こいつらBと戦っています。
こいつらBのスキルの高さが不思議でしょうがない。
※
訴訟において、社会は悪事の折り合いで成立してます。
こいつらBの目的は、組織の壊滅です。
こういう戦いをしている人たちを尊敬します。
壊滅させられる組織は、原告を殺すほど狙います。
こいつらBは、調査の後、情報を小出しにする人たちなら悪組です。
壊滅させられる組織は、その過程の元で全体で責任を負えないと判断されると、グループではなく、個人的な成果の良い報道傾向になります。
性急に行えば、計画的に、それらが調査結果をもとに、訴訟はスキルですから、数多い、論争になります。
研究であれば、成果全て抹消ぐらいの組織があっても、普通と思います。
ところが、原告の思いは、一生、晴れません。
こういう戦いを尊敬はしますが、組織は、みんなで戦ってきたと負債でアピールする企業人を尊敬します。
仲間意識があった方が、人生も楽しくなります。
それは、ヒーロー社会ではありません。
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